ライバルのおねしょ

暗殺者は真夜中の、灯りもない部屋の中ひとりため息をついた。
 彼のターゲットはなんと敵の多い事なのだろう。
 けっして大悪人でもない。
 罪など犯してもいない。
 まだ幼い、たまたま皇子という身分に産まれた五歳の少年なのだ。
 それなのに二日、或は三日に一度部屋を訪れれば沸いて出る数々の盗聴器、隠しカメラ、トリップ。彼を仕留めるのは自分だと自負している暗殺者の海洋はその度、何も知らずにすやすやと寝ている皇子の寝息を聴きながらそれらを処分していた。
 本来はたかが五歳のターゲットのために時間を割く予定ではなかった。
 彼が何故狙われているかは判らないが仮に王位継承問題だとしてもまだ成人にもなっていないのだから依頼主は急がない筈だ。
 だが、様々な偶然によって自分の手をすり抜けた事、他にも狙っている存在が多々或る事が海洋をこんなにも足しげく皇子の元へと通わせる事になった。
 それは決して楽な事ではない。
 彼の本拠地から皇子の潜む衛星までは随分遠い。
 そして海洋も暇ではない。
 どうにか時間をやりくりしてこの部屋に通っている。
 これでは、皇子を暗殺したいのか護りたいのか判らないな、と苦々しい表情にもなる。
 それなのに、皇子の方はまだすやすやと眠り続けている。
 その柔らかな白い頬に、愛着が沸き出した事にも海洋は自覚があった。
 あまりにも無防備に眠るその頬を突きたくもなる。
 皇子は海洋に全く気付かないわけではなかった。
 何度か目撃はしていたが遊びに来た幽霊だと信じて懐いて来た。
 それもいけなかった。
 怖がってくれたならどんなに良かったか。
 そう思い、またため息を付く海洋は廊下の方でかすかに響く物音を聴いた。
 誰の立てた音だかは判っていた。
 皇子の部屋のずっと奥。
 突き当たりの部屋に住まう皇子を狙うもう一人の人物だ。
 或る意味海洋にとって一番の邪魔者でもあった。


 塔はベッドの上で腿をすり合わせ、必死に襲いかかる尿意に耐えていた。
 シーソーのように上半身を前後に揺すり、何とか漏れそうになるのを食い止めようとするが、もう扉は今にも開かれんとばかりに下腹部がノックされる。
 このままではベッドを汚してしまうことは間違いない。 
「ううっ・・・・・」
 塔は泣き出しそうになり、その声を飲み込んだ。
 彼こそ海洋の警戒する、皇子を狙うもっとも身近な暗殺者だった。
 この衛星の女王が孤児を積極的に引き取っている事を利用して送り込まれて来たのだ。
 だから七歳児と言っても立派な暗殺者だった。
 しかし、それと同時に暗殺者だが立派な七歳児でもあった。
 殺すのは平気でも幽霊は苦手だった。
 そして彼は皇子の部屋に幽霊が出るのを知っていた。
 その幽霊が今夜もいることを。
 そのせいで廊下に出て行かなくてはいけないトイレに行けないでいた。
 幽霊なんぞすぐ帰るだろうと思って我慢していたのが間違いで、幽霊はいつまでも帰らない。
 軽い尿意が、今では出口のすぐそこまで押し寄せるほどにまでなっていた。
 切羽詰まった塔は、幽霊が皇子の部屋にいる間にトイレに行けばいいのだ、と思い立ち、急いでベッドから立ち上がり、手で股間を必死に抑えて廊下に出た。
「!」
 廊下には件の幽霊が立ちはだかっていた。
 じゅん、と股間を抑えた手に温もりが伝わる。
 塔は自分の股間、尻、そして腿に熱が伝わり、それが脚を伝って自分の足元に広がるのを感じた。
 恐怖でじんじんする意識の中、足元からする水音だけがやけにはっきり聴こえた。


 廊下で塔と鉢会わせた事は海洋にも予想外の出来事だった。
 すぐに立ち去るつもりでいたが静かな暗い夜の廊下に水音が響くのが聴こえ、じっと目を凝らす。
 目の前の幼いライバルの太腿から音を立てて水が流れ出すのが判った。
 唇を振るわせ、目には涙を浮かべ、青ざめた顔でこちらを見ている少年の足元にじんわりと水溜まりが広がる。
 海洋の胸に悔恨の想いが過った。
 愛くるしく、幽霊だと言いながら懐いて来る皇子とは逆に塔は可愛いたちではない。
 不信感を募らせた目付きでこちらを伺っている彼を好きになれない自分を知っていた。
 だが、まだ七歳の彼に何の罪があろう。
 必死に泣くのを堪えている塔の肩に手を置くと、びくんと震えるのが判った。
「おいで」
 海洋は努めて穏やかな声で告げると彼を浴室まで導いた。
 お湯を出し、汚れた体と服を洗う。
 部屋に連れ帰り、泣きじゃくりながら塔が着替えている間、廊下の水たまりも奇麗に拭いた。
 海洋としては、それで終わりのつもりだった。
 それから三日経ち、海洋はベッドの上で静かに泣く塔を見下ろして密かに顔に手を当てる。
(こんなはずではなかった・・・・)
 先日、廊下で塔の失敗に優しく接したつもりだったのに、反って恐怖心を植え付けてしまったらしい。
 塔は三日連続でベッドを汚していた。
 暗殺者と言っても殺す事が平気なだけの七歳児だ。
 本来は大人を頼りたい年頃の彼だが皇子を狙う為に身を潜めていたせいで頼るべき大人を持たなかった彼はもっとも畏れている海洋本人に救いを求めるしかなかった。それが悪循環になったのだろう。
 ベッドに出来た丸い染みの上に汚れたパジャマの尻をぺったりつけ、泣くしかない塔の背中を見ながら海洋はため息を付いた。
 どれもこれも自分のせいだ。
 暗殺者として誰かと鉢会わせるなんて有り得ない。
 しかも、塔はこの数日に渡る出来事のせいで羞恥と恐怖と、自信の喪失をどっぷり味わってしまっている。
 海洋はこれまで通り塔の体を洗い、汚れた寝具と服を片付けるとまだ顔を涙でぐちゃぐちゃにしている塔をベッドに横たわらせ、すまなかった、と静かに言った。
「驚かせたな・・・・・
実はあの部屋には私の大事な物があって、それを探していたんだ。
今までどうしても見付からなかったが、今日やっと見付けた。
もうここには来ない」
 そう言うと、驚いたように瞬きをする塔の頬を撫で、部屋を去った。
 もう来ないなんて嘘だった。
 だが、もう塔に会わないようにしなくては、と思ったのは真実だ。
 皇子の部屋を探るだけでも結構な時間の浪費だ。
 その上に塔を怯えさせ、後片付けまでするのは割に合わない。
 お互いに何も得られるものはない。
 


 三つ子の魂なんとやらとはよく言ったものだ、と海洋は苦笑した。
 向こうで塔が海洋の持って来たホラー映画のソフトを見付けてぎゃあぎゃあ騒いでいる。
 17歳になっても塔は結局ホラーが苦手なままだった。
 さすがにもう夜にトイレに行けないなんてことはないとは思うが。
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