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ぽん!

台所を片付ける皇子のつやつやの、襟足より少し長めの黒髪がリズミカルに踊る。
 彼の黒髪は見た目は柔らかそうなのだが少し硬めなせいで、始終どこかで毛先が踊るのだ。
 海軍の大艦隊艦長は、襟元を緩めながらその動きを見ていた。
 幼い頃から皇子というだけで命を狙われたりもした彼だが、素直にすくすくと育っている。
 同じ年頃の青年からするとやや小柄でまだ少年という感じも否めないが健やかなのだからそれもよしだ。
 その横で背の高い、海洋という細身だががっしりした身体付きの、ウェーブの掛かった長い黒髪の青年が優しげな目付きで少し体を屈め、皇子に何か指示をしている。
 皇子はそんな海洋に素直に頷いていた。
 海洋は何を隠そう、皇子の生命を狙っている一人だ。
 一度邪魔が入り、しかもその後その依頼は消えたのに任務を完了出来なかった事を悔しがった彼は今後も皇子の命を狙う事を宣言し出した。そして呆れた事に「他の奴に皇子を渡したくない」という理由で毎日と言ってもいいほどの間隔で皇子に会いに来ていた。
 皇子は別のマンションに最近居を構えたのだが、海洋たちのせいで部屋が壊れてしまい、一時期的に艦長の元へ身を寄せていた。
 皇子も海洋も大変器用な方であっという間に贅沢ではないが豪華な食事が並ぶ。
 そこへ、足を引きずるような足音がして、塔という青年が現れた。
 皇子よりはいくつか年上だったがまだ未成年で、細いというよりはかなり痩せぎすな目付きもあまり良くない灰色の髪を持つこの青年もまた、皇子の命を狙っていたものだ。
 任務に失敗し、艦長に捉えられた時には指示を出したとされる彼の両親は姿を消し、未成年だった彼は艦長に引き取られる事になったのだが、この塔が一番の悩みの種だった。
 ややぼんやりしていて人が好いところがあるものの自分の事は自分でこなせる皇子は心配はすれこそ手は掛からない。
 海洋だって充分な大人だし、プロだからたまに冗談のキツい行動を起こす事はあっても艦長に迷惑を掛けた事はない。いくら皇子を狙って艦長の家に来ているとは言え、引くべき線はきっちりしているし信用も出来る。部下として使う事もあるくらいだしその際は非常に有能な働きを見せる男だ。
 それがこの塔と来たら口ばかり達者で自分の世話もままならない上に登校拒否に成り掛けるし誰にも心を開かないどころか会話もままならない。おはようも言わなければおやすみもなく、学校からの呼び出しなどしょっちゅうだ。
 たくさんの部下を掌握している彼にとっても塔は非常に扱い辛くままならない存在で頭痛の種でもあり、自信を喪失させる事でもあった。
 幸いにも海洋は同業者という立場を口実に力技で塔を押さえ込み怯まずに面倒を見てくれているので塔は学校には通えている。学校からの呼び出しにも進んで出向いてくれるのだから本当に有り難いものだが、そのせいで艦長は保護者としては全く無能な自分にげんなりしてしまうのだ。
 その問題の塔は、相変わらずおかえりもなくダイニングに入って来たのだが、いつものしかめっ面と違う苦痛に満ちた顔でゆっくりと歩くので艦長の目を引いた。
 どうしたんだ?と訊きたいのだが、まだ人間関係が出来ていないので気軽にそんな事も出来ない。艦長は手招きで海洋を呼んだ。
「ああ、さっき・・・・・」
 目配せだけで艦長の言いたい事を察した海洋は小声で事情を説明する。
 昨日、艦長にいつも力で押さえつけるという海洋のやり方を咎められた彼は、今朝は塔に「おしおき」をしてみることを試みた。だが精神的に弱い塔はたった二回尻を叩かれただけでパニックになり恥ずかしさで憤死し兼ねない勢いだったので海洋はこの手を使うのは止めようと考えたのだが
帰宅するなり仕返しを挑んで来たため、滅多になく逆上した海洋は止めようと決めていたのにも関わらず強引に尻を何度も引っぱたいてしまったのだ。
 塔はその痛みに耐えた。
 だがもう二度とこんなやり方はご免だと言い、 海洋も趣味じゃないと答え、仲直りをしたのだがその後の痛みには耐えられなかったようだ。
 一緒にいる時は泣かなかった塔だが、海洋が台所へと去った後泣いてしまったのだろう。
 こっそり目を見ると真っ赤になっていた。
 事の顛末を聞いて艦長は驚いたように海洋を見た。
 海洋はその艦長の前でうなだれ
「やりすぎました。ゴメンナサイ」
 と言った。
 見た目はしおらしいが上目遣いに見ているその目が本当にそう思っているのか・・・・・・
 普通の社会では生きて来なかった海洋と塔は叱られるのも叱るのも慣れてはいない。
 食うか食われるかの世界にいる者同士だ。
 そんな二人にこっちの価値観を判らせるのは時に骨が折れる。
 海洋は素直だからまだいいが、塔はそうではない。
 だが、本当に今社会での生き方を身につけなくてはいけないのは塔の方なので本当に悩ましい。
 艦長はひとつ、ため息を付くとまあいいさ、と言った。
「頼んだのはこっちなんだし」
「うん?」
 許され方も判らない殺し屋の青年はどうしたらいいのか判らないようで戸惑いの眼差しで艦長を見た。台所に戻って、と指で示すとすぐに戻る。
 その後ろで塔は座りずらそうに椅子に腰を下ろす。
 やりすぎた、というのは誇張ではなさそうだな、とその様子を眺めながら艦長は肩をすくめた。
 その向こうでは海洋が皇子に頭をこつんと叩かれていた。
 どうやら同じ話をしたようだ。
「今日はソファーでご飯を食べるか?」
 そっちの方がまだ楽じゃないかと提案してみる。
 塔はいい、と首を振った。
 返事があるのは初めてだ。
 思わずそっちを見ると目を潤ませ、時々鼻をすすっていた。
 まだ泣いている途中のようだ。
「無理はしないように」
 艦長はそれだけ言うと、新聞を拡げた。



 暗がりの中。
 幽霊が青白い顔でこちらを見ている。
 塔の顔から血の気が引き、気が付くと下半身に温もりが広がった。
 慌てて下を見るとシーツに丸い染みが出来ている。
 ズボンもびしょびしょだ。
(しまった・・・・・)
 もう泣きそうだ。
 動揺する塔の前で幽霊がにやっと笑った。



「・・・・・うわっ・・・・・・っ!!」
 塔は自分の叫び声で飛び起きた。
 肩で息をするとはっとして毛布を剥ぐ。
 ベッドもパジャマも濡れてはいなかった。
 ほっとして息を吐くとドアがノックされ、大丈夫か、という艦長の声がする。
 塔は慌ててベッドから出るとドアを開け、ちょっと怖い夢を見ただけと言った。
「そうか・・・・・ホットミルクを作ってあげるからこっちへおいで」
「?」
 何故ホットミルク?と塔は首を傾げる。
「ホットミルクを飲むと少し落ち着くんだ。まだ朝には早いからね」
 そういうと先に歩き出す。
 塔はしばらく部屋の前でぐずぐずしていたが、ええままよ、とその背中の後を追った。
「もし怖かったらここで寝てもいいからね」
 そう言いながら艦長はソファの前のテーブルに温めた牛乳を置く。
 塔は黙ってそれに口を付けた。
 相当な猫舌なので恐る恐るだ。
 艦長はその様子を眺めながら自分のカップに口を付けた。
「あの、俺・・・・・・・」
「ん?」
 艦長は塔を見た。
 彼はマグカップに視線を落としたまま口ごもると、
「ずっと人目を避けて暮らしてたから慣れないんだ。誰かといるとか、話すとか・・・・・・・・」
「うん・・・・・・」
 そうだな、と艦長は静かに相槌を打つ。
「・・・・・・誰かが近くにいるのは怖い・・・・・」
 吐き出す様に告げる。
 マグカップを包む両手が僅かに震えた。
「判った」
 艦長は視線を塔に向けたまま頷いた。
「今の君の生活については法律上の事だから仕方がない。でも、学校生活が無理なら家庭教師も考える」
 思いもがけない提案に、塔は戸惑いを覚えたように視線を彷徨わせた。
 この数週間の生活を思い返しているのか沈黙が続く。
「・・・・・学校は通う・・・・」
 彼の中でいくつかの葛藤があったようだが弱々しい答が返って来た。
「無理になったら言いなさい」
 艦長はそう言うと残りのミルクを飲み干し、ソファーに横たわり目を閉じた。
「ちょっと・・・・・・」
 置き去りにされた塔は少し慌てたが、諦めたようにため息をつくと自分も残りのミルクを飲み干し、マグカップを台所の流しに片付けると反対側のソファに身を横たえた。



「こーんなところで寝てるとおねしょしちゃうぞ!」
 頬をはたかれて目を覚ますと、朝陽の中で海洋が腰に手を当てて見下ろしていた。
「してないっ!」
 塔は真っ赤になって言い返す。
「怪しいな〜〜。さては部屋でしちゃってベッドが使えないからここで寝てるのか?」
「ちがっ・・・・・・」
 面白がってにやにやする海洋を拳で殴ろうとするがひらりと身をかわされる。
「・・・・・・ゆ、夢で見ただけだよ・・・・」
 夢の中での動揺を思い出し、思わず声が小さくなる塔。
 そう、絶対ないなんて有り得ない。
 向かい側で寝ていた艦長はもそもそと起き出すとなーんだ、と言った。
「そう言う事だったのか。
しちゃったら怒らないからちゃんと言いに来なさい。
一人で後始末は大変だろう?」
「だからしてないって!」
「判ってますって」
 その小馬鹿にした態度が気に入らないんだ!と塔は床を蹴った。
「いいからシャワー浴びて来い」
 海洋はそう言うと尻を軽くはたく。
「うっ!」
 まだ腫れが引かないのか、塔は一瞬体を反らせて声を上げた。
 おやおや、とその様子を見ていた艦長はにやにやとしながら塔の背後に忍び寄り、その尻を軽くぽんぽんとはたき、
「当分は軽いおしおきでも効き目がありそうだな」
 と言った。
 
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ライバルのおしおき

朝、その家の住人ふたりが朝食をセットしていると、乱暴に玄関のドアが開く。
現場には物音ひとつ立てることなく忍び入るという男だとは想像出来ないくらいどすどすと足音を立てるとダイニングを通過し、奥の部屋へと挨拶もなしに押し入る。
いつもの光景だが、皇子と家の主である艦長は変に緊張してその姿を追ってしまう。
この後起きる事ももう何日も繰り返されている事なのだが、やはり冷や冷やして気が気でない。
そんな二人の事など我関せず。
殺し屋を生業にしている海洋は、奥の部屋でベッドに入ったまま上目遣いに睨んでいる塔を見た。
毎朝、塔は思うのだ。
冷たい眼差しを持つ、この殺し屋の威圧的な空気には従わないぞ、と。
だが、いつも気が付くと遠慮無しに殴られ、担がれ学校に放り出されてしまう。
海洋の方は塔を学校まで持って行くとさっさとまた戻り、まだ体に緊張を走られたままの皇子と艦長の間で何食わぬ顔で朝食を取り、艦長の運転で途中の道まで送ってもらう。
それが日常だった。
その車の中で艦長が少しやり過ぎじゃないのかと咎めるのも。
だから海洋もその言葉を受け流し気味だった。
だが、今日の艦長は違った。
生返事で「そうだね」と海洋がいつものように適当に相槌で流そうとすると車を停め、海洋に車から降りる様に促した。
「なに?」
いつもと様子が違う艦長の様子をいぶかしみながらも路肩に降り、運転席から降りて来た艦長を見る。
艦長は苛立をはっきり露にすると
「このままでは塔は暴力で解決することしか学べなくなる」
と言った。
「確かに海洋には感謝している。我々には塔は手に負えないし、毎日学校に通わせる事も出来ないと思う。だが、それとこれとは別だ」
海洋は上から言われ、むっとして艦長を見た。
だが、いつもは海洋のへ理屈と威圧的な態度に圧されている艦長の一歩も譲らんとする毅然とした態度に自然と俯いてしまった。
そんな海洋に艦長の長い長い小言が繰り出される。
海洋には雇用関係がない。
親とも暮らした事がない。
艦長の説教を聞きながら、海洋は、これが叱られるということだろうかと思った。
完全に一対一という関係を壊している、このいかんともし難い敗北感。
「他にどうしろと?」
それでも負けじと言い返すと、手を出してと言われる。
「?」
よく判らぬまま利き手の逆を出す。
艦長は手の甲を上に向けさせると
「君は拷問には強いよな?」
と言った。
「多少はね」
そう答えるや否や、ぴしっと甲を打たれる。
「どうだ?」
信じられん、という顔で見上げる海洋に片頬で笑いながら艦長は訊いた。
「なんというか屈辱的だな」
耐えられない痛みではないが、と睨む。
「おしおきさ。
痛いより利く」
「へえ。俺は今おしおきされたわけ?」
艦長が車に乗り込むのを見て自分も車に戻りながら海洋は運転席に座る艦長をねめつけた。
「言っておくけどな」
艦長は車を発進させながら言った。
「俺はお前が塔に強固な態度に出る度にそういう気持ちになってるんだぞ?
まるで俺の不手際を責められてるような気になるんだ」
「あんたは関係ないだろう?」
あいつの問題はあいつの責任だ、と海洋。
「判っててもそう感じるんだよ」
上下関係もしがらみもないお前には判るまいがな、とぼやく。
海洋は、ふーーんと判ったような判らないような返事を返すと
「でもさっきのは効いた」
と言い、助手席に沈み込んだ。
彼なりの謝罪と釈明と反省してますという意思表明なのだろうが、どうしてもこう偉そうなのか。
やれやれ、と艦長はひそかにため息を付いた。


そして翌日。
塔は相変わらず部屋に引きこもり、艦長が呼んでも皇子が呼んでもうんともすんとも言わない。
取り敢えず先に朝食を食べているといつものように扉が開き、どしどしと音を立て海洋が現れ、ダイニングを通り過ぎ、奥の部屋に入って行った。
「なんだよ。
まだ暴力で解決しようってのか?」
塔はベッドの上で寝そべったままふてぶてしい態度で海洋を見る。
海洋は無言でつかつかと歩み寄ると、斜め下から見上げている塔の腕を掴み、引っ張り上げるとうつ伏せにさせた。
「ちょ・・・・・っ」
勢い良くズボンのウェストに手を掛けられ、さすがに塔は慌てた。
さっきまで強気だった表情が顔から消え、真顔になると必死で海洋の次の動きを止めようともがく。
だが、日がな一日腕の怪我を言い訳にだらだらしていた塔と違い、毎日鍛えている海洋はびくともしない。
ズボンを少しだけ下げられたかと思うと、強い平手がその尻を襲った。



二、三度塔の悲鳴が聴こえた、と思ったら激しい物音が響き、皇子と艦長は首だけで廊下の方を見た。
僅かに開いた扉の隙間から、気を失い海洋の背中に背負われ、運ばれて行く塔の姿が見えた。
「昨日の昨日の話を判ってくれたんじゃないのか?」
帰って来た海洋を車に乗せ、職場まで向かう中艦長は不満を述べた。
「結局今まで通りじゃないか」
「違う。あいつ、プライドが無駄に高くて憤死しそうになったんだ。
行き過ぎになる」
不機嫌な口調になる艦長に海洋は慌てて説明した。
「尻に二発が限度だ」
「よわっ!」
思わずそう叫んでしまう艦長。
「なんだってそんなにメンタルが弱いんだ!」
「強かったら毎日気絶させて学校になんか連れて行くことないだろう。
あれじゃあ特攻野郎Aチームのコングを飛行機に乗せるのと同じだ」
「まさか、ずっとこんなんじゃないだろうな」
「そんな先の事より今日の心配をしたら?」
眉をしかめる艦長をじろりと睨み、海洋は言った。
「もしかしたら帰って来ないかもしれない」
「俺が悪いのか?」
思わず海洋に噛み付く艦長。
「お前のやり方が合ってて、俺の意見は間違ってたと?
あいつの為にならないと?」
「そうは言ってないだろ?落ち着けよ。まだ帰って来ないと決まったわけじゃない」
普段はもの静かでおっとり坊ちゃんなこの艦長はたまに熱くなって変な方向に暴走してしまう。
それをまあまあとなだめ、無事に職場まで到着させると海洋は車を降りた。
艦長にはそう言ったものの、実際は海洋も落ち着かなかった。
留守を預かった家で家事をしながら、あいつはちゃんと帰って来るだろうかとそわそわしっぱなしだった。
夕方、ドアの開く音に玄関まで足早に出て行くと顔面に何かが投げ付けられる。
いつもなら完全に避け切るのだが、心ここにあらずだったせいだろう。
もろに真に受けてしまった。
「な・・・・・・・っ」
投げ付けられたのは鞄だった。
それなりに重みのあるそれを除ける隙に塔が飛び掛かって来た。
「・・・・・・今朝はよくも・・・・・・!!」
悔しさで顔を真っ赤にして睨みながら殴り掛かって来る塔に、海洋は何をするんだと言い掛けた言葉を飲み込んだ。
一発で殴り返すと、まだ玄関先にいる皇子をそのままにし床に倒れ伏した塔の腰を小脇に抱え、彼の部屋まで連れ込み、ベッドの上に手を付かせ、まだ荒い息を吐く塔の尻を力任せにズボン越に引っぱたいた。
「うっ!」
塔は一瞬、声を出したが耐えた。
すぐに二発目が来たが逃げなかった。
灯りも点けないままの薄暗い部屋の中、尻を打つ音だけが響いた。



何発打たれたかは判らないが、塔は痛みにもその状況にも耐えた。
今朝彼を捉えた羞恥心と屈辱感はなかった。
腹を立てていたからだろうか。
尻は痛んだが泣きたいほどでもなく、自分の意志を貫いたような気持ちで荒く息を吐いた。
「お前、結構強情だな」
海洋は静かに背中を上下させる塔を見下ろし、静かに言う。
「こんなの、お前はただ他人に言われてやっただけじゃないか。プライドがない」
塔は顔を下に向けたまま言い返した。
海洋は、ふん、と言うとその横に腰を下ろす。
スプリングが効いたベッドが大きく揺れた。
「なあ・・・・・・」
「ん?」
「・・・・・・俺、こんなやり方好きじゃない。俺が意見出来ることじゃないかもしれないけど・・・・・・」
塔はまだ俯いたままで、ゆっくりと言った。
「俺が悪いんだろう?
でも痛くても恥ずかしくても反省出来ない」
「まあ、俺も趣味じゃない。一発殴った方がすっきりする」
そう言うと塔の灰色の髪を撫でる。
「今日は俺が悪かった。でも、艦長が心配している事も判ってくれ」
「・・・・・・うん・・・・・」
「声が小さいな」
「え?」
海洋が立ち上がったので塔は慌てて上半身を起こした。
海洋はその様子ににやっとした。
やっぱり殴る方が効き目がありそうだ。
殴らずに済むならその方がいいのだが。
「夕飯の準備をするだけだ」
「俺も行く!・・・・・っ!」
塔は慌てて立ち上がろうとしたが、出来なかった。
打たれた場所が想像以上に痛んだのだ。
さっきまで気丈に耐えていたのに、目に涙を滲んで来た。その様子に海洋は笑う。
「何だ、効き目はありそうだな」
「くそ・・・・・・・」
にやにやとした海洋の言葉に塔の顔が見る間に真っ赤になった。
無理に立ち上がろうとするがやっぱり立ち上がれない。
海洋はその腕を掴み、引っ張り上げると痛みを庇っているせいで無様な歩き方になっている塔の歩みに合わせ、ゆっくりと台所に向かった。

スクラッチナイト

少年の頬と腿を温かい物が伝う。
そうなると判っていた結末、恐怖、悔恨。
それらのものがない交ぜになった、不快感しかない熱が、ゆっくりと下半身を支配し、床に小さな音を立てて水たまりとなって広がった。
灯りのない暗い廊下に響くその音は彼の耳にやけに大きく響いた。
まだ幼い塔の鼓膜に響くその音は、少し離れてこちらを見下ろしている男の耳にも届いているだろうか。
そう思うと塔の胸はどきん、と高鳴り顔は羞恥で熱くなる。
幽霊だろう?そんなこと関係ないさ。
頭ではそう思っていても今彼に起きている状況が塔を充分に狼狽させ、途方に暮れさせた。
後少し歩けばというところでトイレに間に合わなかった、という事実。
それも目の前に幽霊がいる、という恐怖に勝てなかったからだ。
物心ついた時には様々な凶器に触れ、殺人を仕込まれ、誰かに頼るということを知らずに育った彼は、恐怖を抱え暗闇の中で尿意を必死にこらえながら耐えに耐えるしかなかった。
周囲にいる大人に付き添ってもらうなんて考えつきもしなかったのだ。
そんな彼は、トイレまで間に合わずにしくじってしまった事に動揺し、絶望感に囚われていた。
足元の水たまりは今も広がり続け、お尻にも股間にも熱を伝え続けている。
少し遠くにいた幽霊が一歩近付いた。
塔の心臓がどくん、と鼓動を打ち、今までゆっくりと漏れていたおしっこがどっと解放された。
ちょろちょろという音が大きな水音に変わる。
塔はそれを止める事は出来なかった。
体が恐怖に負けたのだ。
パジャマのズボンが一瞬で濡れた。
幽霊は、そんな彼の頬にそっと手を当てるとおいで、と優しく囁いた。
どうしていいのか判らないまま、塔はその声に導かれ、ふらふらと歩き出した。



おそらくそれが彼にとって最初の、誰かに頼るという行為になった。
相手のなすがまま。
言われるがまま体を洗われ、新しいパジャマに身を委ね、後片付けをしてもらい、まだ恐怖で凍り付いた心を抱いて再び眠る。
自分にとって恐怖心を抱く相手に頼るという歪んだ形での始まり。
それが、塔に複雑な甘え方を形成させた、と後に思う。
その夜の出来事は間違いなく彼に大きな傷を残し、彼はその後三日連続して布団を汚した。
最初の夜はただ、ぎりぎりまでトイレを我慢出来なかっただけの失敗だったが翌日からのおねしょは、目を覚ました時には時既に遅し、という具合でそれが彼を余計に恐怖へと陥れた。
我慢した記憶がないのに布団が濡れている。
お尻には濡れたパジャマが張り付いて気持ちが悪い。
それよりどうしたらいいのか判らない。
冷静な時の彼だったら今まで誰も頼らずに来た経験で静かに着替え、汚れた寝具を始末する事が出来ただろう。だが、この失敗は彼を酷く混乱させた。
どうしたらいいのか判らないまま、濡れた布団の上でしくしく泣いていると(そんなことも初めてだった)幽霊が現れ、最初の夜のように彼の体を洗い、奇麗にしたシーツの上に彼を寝かしつける。
塔は、手助けそしてもらいながらも、自分の身をどうして良いのか判らずにいた。
三日目は少しは記憶があった。
正確には目を覚ました時は、布団を汚している最中だった。
それは酷く情けない物で、失敗を止められないという事実が腿の下で広がり続ける尿の水たまりを感じながら彼を強く打ちのめした。
泣く事も出来ずに呆然とベッドの上で青ざめている塔に、幽霊はすまなかった、と言った。
「もうここには来ない」
と。
塔は猜疑心に溢れる少年だったが、幽霊の謝罪の翌日から、ぴたっとおねしょは止んだ。
夜中に目を覚まし、布団が濡れていないのを確認した彼は、誰もいない空間を見詰め、自分が何かを失ったような宙ぶらりんな気持ちを抱いている事を感じた。
幼い彼には、それが何だか判らなかった。


塔は幼くても暗殺者だった。
彼の狙いは同じ寮にいるどこかの衛星の皇子で、彼は大人しく謙虚で控えめで、甘えん坊ではなかったが誰かに頼る事が巧かった。
幼い時、かいま見れたその性格は一緒に育ち同じ家で時を過ごす様になってはっきりと示される様になった。
きっと彼だったらトイレに間に合わなくなる前に誰かを呼べただろう。
仮に間に合わずに失敗しても自分がすべき事と頼るべきことを区別し、お詫びもお礼も言うべき時に表しただろう。
と、当時を振り返る度、塔はその時の気恥ずかしさと共に、その時感じた宙ぶらりんな気持ちについて考える。
少しだけ手を伸ばし、助けを呼ぶ。
その術をあの時身につけ損なったのだ。
幽霊の一方的な幕引きによって。
そして巧く頼れなかった自分のせいで。
塔は結局あれからも誰かを頼る事が巧く出来ない青年になった。
方法は判っていたが、実行することが出来ない。
助けて欲しいのに唇をきゅっと弾き結んで拒絶してしまう。
態度に表れているのに言葉と顔で否定してしまい、言い出せなかったせいで隠し事に繋がったり失敗してしまう事も度々だった。
そんな彼を身近な保護者も皇子も判っているよ、というように許し、厳しくし、肩を抱く。
助けてもらっておきながら反抗的な態度に出ても減らず口を叩いても苦笑いで受け止める大人たちに、彼は更にむくれてしまう。
甘えているんだよなあ、と冷静になると必ず省みるのだが、その時は謝罪も感謝ももう間に合わない頃で、つくづく可愛くないなあと自分にがっかりするのだ。
彼の本当の保護者は苦い顔しかしなかったが、その保護者が強制的に雇った家庭教師の青年は、そんな彼の様子を察するといつも
「お前なり」
と言って笑った。
未だに塔は幽霊が怖い。
映画でもドラマでも童話でもホラーは全く駄目だ。
態度は決して良い物とは言えなかったが、それが駄目なんだと意思表示出来るようにはなった。
いつか、幽霊に会った事。
その夜の失敗を話せるようになったら、もう少し巧く頼れるようになるんだろうな、と許される度に塔は思う。
そして、自分が早いうちに頼るのが上手な性格だったら、おねしょも、もう二、三度はして彼らの腕の中で甘えてみたかったなあとも思うのだ。
(さすがにこの歳でそれは出来ないよなあ)
と残念に思う自分に呆れながら。
(今やったら本当に憤死ものだよ・・・・・・)
きっと皇子も、彼の保護者も少し冷たい目をした優しい家庭教師も笑わないでいてくれるだろうけど。
いや、それとも笑い話にしてくれるだろうか。
夜風ですっかり冷えたグラスの中の酒を飲み干し、塔は考えても仕方のないことさ、と首を振り、部屋の中に入った。

ライバルのおねしょ

暗殺者は真夜中の、灯りもない部屋の中ひとりため息をついた。
 彼のターゲットはなんと敵の多い事なのだろう。
 けっして大悪人でもない。
 罪など犯してもいない。
 まだ幼い、たまたま皇子という身分に産まれた五歳の少年なのだ。
 それなのに二日、或は三日に一度部屋を訪れれば沸いて出る数々の盗聴器、隠しカメラ、トリップ。彼を仕留めるのは自分だと自負している暗殺者の海洋はその度、何も知らずにすやすやと寝ている皇子の寝息を聴きながらそれらを処分していた。
 本来はたかが五歳のターゲットのために時間を割く予定ではなかった。
 彼が何故狙われているかは判らないが仮に王位継承問題だとしてもまだ成人にもなっていないのだから依頼主は急がない筈だ。
 だが、様々な偶然によって自分の手をすり抜けた事、他にも狙っている存在が多々或る事が海洋をこんなにも足しげく皇子の元へと通わせる事になった。
 それは決して楽な事ではない。
 彼の本拠地から皇子の潜む衛星までは随分遠い。
 そして海洋も暇ではない。
 どうにか時間をやりくりしてこの部屋に通っている。
 これでは、皇子を暗殺したいのか護りたいのか判らないな、と苦々しい表情にもなる。
 それなのに、皇子の方はまだすやすやと眠り続けている。
 その柔らかな白い頬に、愛着が沸き出した事にも海洋は自覚があった。
 あまりにも無防備に眠るその頬を突きたくもなる。
 皇子は海洋に全く気付かないわけではなかった。
 何度か目撃はしていたが遊びに来た幽霊だと信じて懐いて来た。
 それもいけなかった。
 怖がってくれたならどんなに良かったか。
 そう思い、またため息を付く海洋は廊下の方でかすかに響く物音を聴いた。
 誰の立てた音だかは判っていた。
 皇子の部屋のずっと奥。
 突き当たりの部屋に住まう皇子を狙うもう一人の人物だ。
 或る意味海洋にとって一番の邪魔者でもあった。


 塔はベッドの上で腿をすり合わせ、必死に襲いかかる尿意に耐えていた。
 シーソーのように上半身を前後に揺すり、何とか漏れそうになるのを食い止めようとするが、もう扉は今にも開かれんとばかりに下腹部がノックされる。
 このままではベッドを汚してしまうことは間違いない。 
「ううっ・・・・・」
 塔は泣き出しそうになり、その声を飲み込んだ。
 彼こそ海洋の警戒する、皇子を狙うもっとも身近な暗殺者だった。
 この衛星の女王が孤児を積極的に引き取っている事を利用して送り込まれて来たのだ。
 だから七歳児と言っても立派な暗殺者だった。
 しかし、それと同時に暗殺者だが立派な七歳児でもあった。
 殺すのは平気でも幽霊は苦手だった。
 そして彼は皇子の部屋に幽霊が出るのを知っていた。
 その幽霊が今夜もいることを。
 そのせいで廊下に出て行かなくてはいけないトイレに行けないでいた。
 幽霊なんぞすぐ帰るだろうと思って我慢していたのが間違いで、幽霊はいつまでも帰らない。
 軽い尿意が、今では出口のすぐそこまで押し寄せるほどにまでなっていた。
 切羽詰まった塔は、幽霊が皇子の部屋にいる間にトイレに行けばいいのだ、と思い立ち、急いでベッドから立ち上がり、手で股間を必死に抑えて廊下に出た。
「!」
 廊下には件の幽霊が立ちはだかっていた。
 じゅん、と股間を抑えた手に温もりが伝わる。
 塔は自分の股間、尻、そして腿に熱が伝わり、それが脚を伝って自分の足元に広がるのを感じた。
 恐怖でじんじんする意識の中、足元からする水音だけがやけにはっきり聴こえた。


 廊下で塔と鉢会わせた事は海洋にも予想外の出来事だった。
 すぐに立ち去るつもりでいたが静かな暗い夜の廊下に水音が響くのが聴こえ、じっと目を凝らす。
 目の前の幼いライバルの太腿から音を立てて水が流れ出すのが判った。
 唇を振るわせ、目には涙を浮かべ、青ざめた顔でこちらを見ている少年の足元にじんわりと水溜まりが広がる。
 海洋の胸に悔恨の想いが過った。
 愛くるしく、幽霊だと言いながら懐いて来る皇子とは逆に塔は可愛いたちではない。
 不信感を募らせた目付きでこちらを伺っている彼を好きになれない自分を知っていた。
 だが、まだ七歳の彼に何の罪があろう。
 必死に泣くのを堪えている塔の肩に手を置くと、びくんと震えるのが判った。
「おいで」
 海洋は努めて穏やかな声で告げると彼を浴室まで導いた。
 お湯を出し、汚れた体と服を洗う。
 部屋に連れ帰り、泣きじゃくりながら塔が着替えている間、廊下の水たまりも奇麗に拭いた。
 海洋としては、それで終わりのつもりだった。
 それから三日経ち、海洋はベッドの上で静かに泣く塔を見下ろして密かに顔に手を当てる。
(こんなはずではなかった・・・・)
 先日、廊下で塔の失敗に優しく接したつもりだったのに、反って恐怖心を植え付けてしまったらしい。
 塔は三日連続でベッドを汚していた。
 暗殺者と言っても殺す事が平気なだけの七歳児だ。
 本来は大人を頼りたい年頃の彼だが皇子を狙う為に身を潜めていたせいで頼るべき大人を持たなかった彼はもっとも畏れている海洋本人に救いを求めるしかなかった。それが悪循環になったのだろう。
 ベッドに出来た丸い染みの上に汚れたパジャマの尻をぺったりつけ、泣くしかない塔の背中を見ながら海洋はため息を付いた。
 どれもこれも自分のせいだ。
 暗殺者として誰かと鉢会わせるなんて有り得ない。
 しかも、塔はこの数日に渡る出来事のせいで羞恥と恐怖と、自信の喪失をどっぷり味わってしまっている。
 海洋はこれまで通り塔の体を洗い、汚れた寝具と服を片付けるとまだ顔を涙でぐちゃぐちゃにしている塔をベッドに横たわらせ、すまなかった、と静かに言った。
「驚かせたな・・・・・
実はあの部屋には私の大事な物があって、それを探していたんだ。
今までどうしても見付からなかったが、今日やっと見付けた。
もうここには来ない」
 そう言うと、驚いたように瞬きをする塔の頬を撫で、部屋を去った。
 もう来ないなんて嘘だった。
 だが、もう塔に会わないようにしなくては、と思ったのは真実だ。
 皇子の部屋を探るだけでも結構な時間の浪費だ。
 その上に塔を怯えさせ、後片付けまでするのは割に合わない。
 お互いに何も得られるものはない。
 


 三つ子の魂なんとやらとはよく言ったものだ、と海洋は苦笑した。
 向こうで塔が海洋の持って来たホラー映画のソフトを見付けてぎゃあぎゃあ騒いでいる。
 17歳になっても塔は結局ホラーが苦手なままだった。
 さすがにもう夜にトイレに行けないなんてことはないとは思うが。
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