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小さなヒーロー


少しばかりの月が暗闇に隙間を開ける夜だった。
全く普通の建売住宅のベランダに、壁伝いに忍び込む影があった。
そこは住宅街と言ってもひっそりとしていて、その影を見るものもいない。
街灯もあまりない、というのが侵入者には幸いしていた。
ベランダにそっと降り立った影は、体を隠していた大きめのフードを剥ぐとポケットの中から端末を出し、画面を確認する。
「ここで間違いないな・・・・」
その影は手のひらに意識を集中すると、ベランダと部屋を隔てる窓に押し当てる。
小さなきしむ音がしたのを確認すると、影は窓を静かに開け、部屋に潜り込み、灯りの消された部屋の暗がりの中、静かに眠る小さな子供の顔を見た。
自然、唇が歪む。
何度この小娘にしてやられたか。
まだ幼くてランドセルに背負われてるような、赤ん坊みたいに丸まって眠る子供だが、これでもれっきとした正義の味方。地球侵略を目論む影、それはスラリとした手足を持ち、胸もたわわな美貌の持ち主の女は、その幼い少女の二倍以上も年を経ているのに全く歯が立たず連敗を喫している。
上司からも結果を急かされ、キリキリ舞いの彼女は、こうなったら手段は選ばないぞとばかりに、卑怯にも幼いヒーローの弱点を探ることにしたのだ。
戦いのこと以外で。
涼しい顔で眠る、ぷっくらとした頬をしばらく睨んでいたが、いつまでもこうしていても仕方がない。まずは机でも漁ろうか、と踵を返しかけた時、かの幼いヒーローが寝返りを打った。
ほっぺも丸ければお尻も丸いわ、と肩をすくめて目的を果たそうとした女は、そのお尻に妙なものを見つけて凝視した。
暗がりでよく見えないが・・・・・
なにやら濡れているような・・・・
そっと手を差し込むとしっかりとした湿り気が手に当たる。
「ちょっとちょっと!」
女は慌てて小さな体を揺さぶった。
(名前・・・・名前・・・・なんだったっけ)
必死で思い出すが遥か記憶の向こうだ。
「起きろ、おい!」
思った以上にベッドもお尻もびしょびしょだと判り、女は焦った。
このままでは風邪を引いてしまう。
必死で揺さぶり続けると、ようやくまぶたが開く。
「ん?」
最初はぼんやりしていたヒーローだったが、自分の前に見知らぬ人がいるということに驚き、声を上げようとした。女は慌ててその口を塞ぐと、あたしあたし、といつもつけているマスクを被る。
「あ・・・・・あなたは・・・・・ミサキさん・・・・」
ヒーローはとろんとした目でその名前を紡ぎ出す。
「そ、そうそう」
「悪の組織の・・・・・え?!」
「だから、しーっ!」
ミサキはまた口を塞いだ。
「それどころじゃないんだって!早く起きて!」
「え?」
二、三回瞬きをしたヒーローはようやく自分のお尻が濡れてることに気づいて慌てて飛び起きた。電気をつけ、青いシーツに出来た水溜りを確認するとボロボロと涙を溢しはじめる。
ああ、もう!とミサキはヒーローを抱きかかえ、立ち上がらせた。
「泣くのは後、後!風邪引いちゃうよ!」
濡れたシーツごとヒーローを抱っこすると勘で浴室へと向かう。
日本の一戸建ての住宅事情なんて大体一緒だ。


浴室の向こうではシャワーの音に混じってすすり泣く声が聞こえる。
ミサキは一度浴室でゆすいでもらった汚れ物を受け取ると、もう一度洗面所で洗い直し、洗濯機に入れた。
スイッチを入れてはやりたいがこんな夜中に音をさせては自分が怪しまれる。
仕方ないか、と諦め、うつむいたままバスタオルで体を拭き終えたヒーローの手を引いて部屋に戻った。
「どうしよう・・・・」
せっかく泣き止みかけたのに、ベッドに広がるおねしょの証拠を見た途端、また泣き出してしまった。
「どうしたどうした、正義の味方」
ミサキは慌ててその顔を覗き込んだ。
「お、お母さんに怒られる・・・・」
ヒーローは大声で泣き出したいのを堪えながら訴えた。
「もしかして、割としょっちゅう?」
ミサキの問いかけに、ヒーローはこくこくと頷いた。
「こ、今度やったらお尻いっぱい叩くって言われたのに・・・」
と言うなりまためそめそ泣きだすのに、ミサキはうーんと唸った。
シーツやパジャマは洗えてもマットレスは・・・・
「いつも後片付けはお母さんに全部やってもらってる?」
「はい・・・・」
「じゃあ、今度からあたしと一緒にやったみたいに、お洗濯だけでもやってみて」
ね?と言われてヒーローは小さく頷いた。
マットレスはもうしょうがない。
取り敢えず寝る場所だ。
ミサキは濡れたマットレスを折りたたむと子供がどうにか寝れるだけのスペースを作り、掛け布団を敷き布団代わりにし、新しいシーツを探し出すとそこに敷いてやる。
その上に毛布を乗せ
「今夜はこれで」
とヒーローを寝かせた。
「ミサキさんはなんでここに?」
ようやく少し落ち着いたのか、ヒーローは鼻をすんすん言わせながら潤んだ瞳で聞いてくる。
「あたし?」
部屋の電気を消しながらミサキはベッドを振り返った。
「あんたの弱点を探しに来たんだ」
「え・・・・・」
ヒーローは収まりかけた涙をまた浮かべ、恐怖に満ちた目でミサキを見上げた。
「・・・・じゃあ、このこと・・・・・」
「言わない。もっと違うのにする」
だからもう寝なさい、というとミサキは忍び込んで来た時より素早く、その場から立ち去った。
ヒーローの名前はまだ思い出せない。


机の上には今日の宿題。
あと少しで終わる。
ヒーローはそわそわと椅子の上で足を揺らした。
おねしょ癖のある子には夜は恐怖でもある。
しかも・・・・・・

(見られた・・・・・・)


素顔のミサキは美しい女性だった。
マスクの向こうから憎々しげに睨み付けて来る姿からは想像もつかない。
そんな美しい女性に自分のおねしょを見られた。
昨夜のことを思い出し、知らず、頬が熱くなる。
いくら戦いに勝っても自分はまだ未熟な子供。
まるで赤ん坊のようだ、と思われたかもしれないと思うとたまらない。
そんな彼女の耳に、窓をノックする音が聞こえた。
顔を上げるとミサキが何かを持って立っている。
ヒーローは慌てて立ち上がると窓を開けた。
「どうだった?お母さん」
訊いて来るミサキの瞳はまるで共犯者のようだ。
「ちょっとだけ・・・・・」
お尻を撫でながら照れ隠しに笑う。
「後片付けが利いたわね。
今日はこれを持って来たの」
「これ?」
ミサキが机の上に置いたものを見てヒーローは目を丸くした。
それは大き目のオムツだった。
「おねしょなんて、そのうち治っちゃうから弱点になんかならない。
そんなので笑い者にしてもあたしの名が汚れるだけ。
あたしが毎日処理しに来てあげる。
その間にあんたの本当の弱点を探す」
それだけ言うとミサキは窓を開け、ベランダに出た。
その視線の先に机の上の教科書が見える。
そこにヒーローの名前が書かれているのが見えた。
(そうだ・・・・あの子の名前・・・・)
「またね、アカネ」
ミサキはそう言うとベランダからひらりと飛び降りた。
「ミサキさん・・・・・」
アカネはオムツの束を抱えてミサキの去ったあとを見ていた。
(まるでヒーローみたい・・・・)

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父の日の慌ただしい朝

 それは清々しい風の吹く、日曜日の朝のことだった。
休日になるといつもより少しだけ早めに起きてくる家族が台所に集まり、朝食の準備をしていると


「おねしょだよ!」
「おねしょじゃないだろう」
「おねしょだもん!」

と、一番下の娘と父親の揉める声が聞こえて来る。
なんだなんだ、と母親と、上の兄弟が家事もそこそこに覗きに行くと、真ん中に大きな水溜りを作った布団を挟んで娘と父親が言い争いをしていた。

「だからおねしょだもん!!」

娘は顔を真っ赤にして地団駄を踏んで抗議する。
確かにそれはおねしょだ、と誰もが思った。
布団にはっきりとおしっこの水溜りが出来ている。
だが父親は違うだろう、と譲らない。
「だって見てみろよ」
と父親は、交互に両足を踏み鳴らす娘の尻をみんなに向けた。
「あれ?」
パジャマのズボンが濡れていない。
「こいつさあ、突然起き出したかと思ったらズボンとパンツを脱いでしゃがみ出して、ここにおしっこし始めちゃって・・・・・終わったら何事もなかったかのようにまたパンツとズボンを履いて寝ちゃったわけ」
どういうこと?と怪訝な顔をする家族に父親は半笑いで教える。
「だからおねしょじゃないんだよ」
「おねしょだもん!!!寝ちゃってしたんだからおねしょだもん!!」
娘は更に激しく両足を踏み鳴らして叫んだ。
本人としては寝ぼけてパンツを下げておしっこを布団にしちゃったことの方が不名誉なことらしい。
「どっちでもいいから、とにかく体を洗って布団を干しましょう」
と、母親が娘の方に手をかけた時。

濡れていなかったパジャマのお尻に勢いよく丸いシミが広がり


しゅわわわわわーーーーーー・・・・・・

という音が足の間から聞こえたかと思うと畳を水音がうち、娘の両足の間に水溜りが出来、どんどん大きくなる。

「・・・・・・お前、おしっこ我慢してたのか・・・・」
地団駄を踏んでいたと思ったのはおしっこを我慢してる仕草だったのだ。
「だってパパがおねしょだって言ってくれないから!!」
娘はわんわん泣きながら叫んだ。
「せっかくパジャマは濡らさなかったのになあ」
兄たちはびしょびしょに濡れたズボンを引っ張って濡れた部分を確認する。
そしてするりと濡れたズボンとパジャマを脱がせると
「こんなにいっぱい漏らして、布団もあんなに濡れて・・・・・ジュースの飲みすぎだ!」
とお尻を何度かぴしゃん、とひっぱたいた。
それはさすがに否定出来ず、娘は悔しさをいっぱいにして言い返すのを我慢し、痛んだ尻を撫でる。
最後にちょっとだけ残っていたおしっこを恥じかきついでとばかりにしょろっと漏らすと兄に抱かれて風呂場に行った。

その日からしつこく「お布団はトイレじゃないんだぞ」と家族にからかわれて娘は悔しさを我慢しながら眠りにつくのだった。

気難しがりやの王子の失敗

 学校から家に帰ると家はいつでも奇麗に片付いていて、タイミングさえ合えば手作りのおやつまで用意されている。
 部屋に入るとベッドの上には奇麗に畳まれた洗濯物が積み上げられている。
 全て自分を狙っている殺し屋の仕業だ。
 その殺し屋は、もうなくなってしまった衛星の王子である彼が随分小さな頃からその生命を狙っていた凄腕の殺し屋だ。残念ながらその殺人依頼は解除されてしまったが殺し屋は後一歩の所で依頼が解除されてしまった事を癪に思って次の依頼が来るまで王子を他の暗殺者から護り続けている。なんとも律儀で頑固な男だ。
 護りついでに学校までの送り迎え、家事までこなす殺し屋は、表情や感情には乏しかったが不思議と怖くはなかった。
 むしろ独特の優しさを持って王子に接してくれている。
 王子はいつかはこの男の手に掛けられ殺められてしまうのかという畏れを抱きつつも、殺し屋の作ったおやつをついばみ、今日学校であった事を報告しながら家事を手伝い、一緒に食卓を囲み、時には一緒に映画を観たり本の貸し借りをするという時間を過ごした。
 家どころか故郷の衛星と家族まで失った未成年の王子にはそうしてくれる大人が必要だったから、彼の存在は確かに有り難いものだった。
 なんてったって殺し屋はとても器用でまめでとっても聞き上手で、外ではにこにこの王子が家で感情を爆発させて八つ当たりしたって涼しい顔で受け止めてくれるのだ。
 そんな殺し屋の感情が最近の王子には巧くコントロール出来ないのが王子の悩みだった。
 以前はなすがままで八つ当たりを受け止めてくれる、背の高い殺し屋に心行くまで甘えて明日をすっきりと迎えていたのに。
 彼が底なしに彼を受け止めてくれればくれるほど、王子の胸にはもやもやとした気持ちが芽生えて仕方ない。
 殺し屋だって好きで王子の御世話をしているわけではないはずだとか。
 自分にも理不尽な話なのに、何故彼はひとつも抗う事なく従うのだろうとか。
 そんな疑問ばかりが自分とのやり取りの度に胸を多い、最近王子は殺し屋に素直になれない。
 必要以上にきつい言葉で返してしまったり、たいして感情も持たない殺し屋の気持ちを勝手に詮索して本当は自分に不満があるはずだと思い込んでは全ての言葉を悪いように受け止めてしまって反抗的な返事を投げ付けてしまったり。それでも殺し屋は何も言わない。また八つ当たりなのだろう、と涼しい顔だ。
 それがまた情けなくて、王子はごめんなさいも言えないで勝手にむくれては、踵を返されて慌ててて後を追ったりしがみついたり拗ねて部屋にこもって夕食まで出て来なくなったり。
 何かにつけてずるいずるいと連呼したり。
 周囲にいる人間が普通の大人だったら反抗期だ、思春期だ、と思ってくれた事だろう。
 あなたはそうだと言ってくれたかもしれない。
 ただ、殺し屋はだいぶその辺の事がルーズで、亡命の王子は16歳の揺らめく心を持て余していた。

 そんなことだから、今日も王子はちょっとしたことで不機嫌になって部屋に籠ってしまった。
 どういう風に振る舞ったらいいのか判らず、激しい自己嫌悪を抱きながらベッドに転がっていると睡魔が襲って来る。
 最近、ちょっとしたことで苛々しているから疲れてしまったに違いない。
 王子はそう考えて瞳を閉じた。
 


 ずしん、とした重みを体に感じる。
 部屋が薄暗くて、ちょっと寝ただけのつもりがそうではなかったかもしれない、と思いながら王子はどうにか体を起こそうとした。
 まだすっきりはしていないが寝ただけマシだ。
 まだ殺し屋になんて言ったら判らないが顔を合わせる気にはなってる。
 出来るだけ勢い良く起きよう、と上半身を起こした王子は、その勢いを強くへし折られるような出来事に顔面蒼白になった。
 ・・・・・・・どうしよう・・・・・・
 心臓の音が聴こえる。
 どうしたらいいのか判らない。
 混乱した頭の中で色んな事がぐるぐると回っているけれど、とにかく誰かの助けが必要だ。
 王子は震える手で携帯電話を掴むと必死で番号ボタンを押した。



 静かな台所で殺し屋は夕食の下ごしらえをしていた。
 王子がいる時は王子の話し声で溢れ還っているが、今日は自分一人なので包丁が野菜を刻む音やお湯が沸く音くらいしかしない。
 そんな静寂をつんざくように、リビングに置いてある電話が強く鳴った。
 この電話は掛けた側が内容によって音を調節出来るようになっているので、音の強弱で話の重要度が判るようになっている。
 殺し屋が足早に近寄り、受話器を耳に付けると、ためらうような呼吸の後で、掠れたような声で

「・・・・・・お・・・・」

とだけ聴こえた。

「お?」

 オウム返しに聞き返す。
 受話器の向こうは数秒間静かになり、それから涙声で震えながら、しかしはっきりとした口調で伝えられた。



 おねしょしちゃった




 殺し屋が急いで二階に駆け上がり扉をノックすると、王子がべそをかきながら出て来る。
 下半身は歩く度にぐずぐず言っている。
 本人は無意識だろうがびしょびしょで重くなったズボンのせいでどことなくがに股だ。
 ベッドの上には大きな水たまりが出来ていた。
 服は着替える事が出来るが、この濡れたベッドを始末するのは難儀な事だろう。
 殺し屋はとにかく体を洗っておいで、と言うとシーツを剥がしに掛かった。
 毛布は掛けていなかったようで無事だがマットレスは救い用がない。
 もう夕方なので外に干すわけにもいかない。
 しかし、このまま置いては部屋ににおいがこもってしまう。
 殺し屋は取り敢えずシーツを浴室に突っ込んだ。
 王子が泣きべそかきながらシャワーを浴びていたが気にしない。
 その後、床を汚さないようにマットレスを降ろす。
 これが一苦労だった。
 階段を下りる時がキツい。
 それでもどうにかして運び降ろすと体と一緒にシーツも洗った王子が浴室から出て来たところだった。鏡の前で涙を拭きながら着替え始めようとしている背後からマットレスを浴室に突っ込む。
 今しがた閉じられたばかりのシャワーの栓を開くと、王子の失敗の跡目掛けて放水した。
 
 
 それは立派な反抗期。
 残業を途中で切り上げ、いつもより早目に帰って来た家主はソファの上で殺し屋に抱きかかえながら眠る王子の姿に微笑みながら答えた。
 ベッドが駄目になってしまったので後は他の人と寝るか居間のソファで寝るかしかなかったが、殺し屋に部屋はない。同居人の塔は二人で寝れるほどのベッドは持っておらず、家の主は帰りが遅く持ち帰りの仕事を携えていることもある。考えた末にソファで寝る事を選んだわけだが、夕食後も自分の失敗を思い出してかぐずぐず泣くので気持ちを落ち着かせる為に仰向けになり、腹に抱きながら揺らしていたらすっかり眠り込んでしまい、殺し屋は動くに動けなくなってしまった。
 家主の夕飯を温めなくてはなるまい。
 殺し屋はそっとソファと王子の間からそっと体を抜き取る。
「反抗期?」
「あとちょっとで大人さ」
 家主は己の首にしつこくしがみつくネクタイを外しながら言った。
「その前に赤ちゃんに戻るの?」
「そうかもな」
 家主は殺し屋の疑問にふふふ、と笑った。
 殺し屋はいつも五歳児が初めて疑問を抱くかのような訊き方をする。
 それが怜悧な表情と正反対で面白くてたまらない。
 殺し屋は結構博識で雑学家で思いも寄らないような知識を持っていたが、どこでどう生きて来たのか誰もが知ってる事が抜け落ちていたりする。それをためらいなく訊いて来るのだ。
 彼の年齢は判らず、骨格や肌の質感からして20代の前半ではないかと言われているが、こういう時はいやにあどけない。
 あどけないからこそ殺し屋になれるのかもしれない。
 と、思わないでもないが。
 家主が今日の疲れをシャワーで洗い流し、リラックスした部屋着になって居間に戻ると食卓には温められた夕食が並んでいる。勿論アルコール付き。王子の元に戻ろうとした殺し屋を呼び止め、グラスを持たせると二人で反抗期に乾杯をした。
 少なくともあのマットレスが乾くまでに三日は掛かりそうだなと思いながら。



 王子はそれからしばらくはまた失敗してしまうのではないかと怯えながら眠り、起きる日々を過ごした。
 失敗は一度だけあった。
 その頃は反抗期も終わり掛けており、殺し屋との感情の諍いもなく、自分の心持ちも理解していた王子は以前のように大騒ぎをすることもなく自分で後始末をすると、その日は泊まりでソファに寝ていた殺し屋を起こし、
「ベッド駄目にしちゃったから」
と言うと反対側のソファで毛布にくるまる。
「駄目にしたって何で?」
 殺し屋が、あの特有の五歳児みたいな眼差しで訊いて来る。
 本当に卑怯だ、と王子は思ったが反抗期真っ盛りの時に感じた苛立はない。
 殺し屋にとっては本当に「何で?」なのだ。
 王子はちょっとは察しなよ、というようにわざと膨れると
「おねしょしちゃったの!」
 と言い放って背中を向けた。
 殺し屋はふうん、とだけ言うとおやすみと呟き静かになった。
 ふうん、だって、と王子は目を閉じ眠りの国に旅立つ。
 明日になったらもう黙れって言っても喋ってやるんだからね。
 あの日。
 自分のおねしょに気付いた時、どんなに絶望したか。
 謝ってもいないのに強情張った相手に泣きつくのにどれだけの勇気がいったか。
 服を脱ぐまでの、お尻から脚にまとわりつく気持悪さ。
 電話してから殺し屋が駆けつけるまでの間、実はその濡れたベッドの上におしっこを漏らしちゃった事。
 盛大に濡れてたから気付かれなかったけど、浴室までもちょっとずつ漏らしていて浴室の前で大きな水たまりも作っていたこと。
 それくらいあの日は自分の失敗が恐怖だったこと。
 抱かれて眠ってる間とても安心していたこと。
 今夜は「あ、やっちゃった」としか思わなかった事。
 ベッドだってあんなに派手には汚してないんだから。
 同じおねしょだけど。
 パジャマだってお尻の周りが濡れたくらいなんだから。
 同じおねしょだけど。




 大人になるってちょっとつまらない。
 王子の寝息を聴きながら殺し屋は自分も眠りの国へと旅立ちながら思った。
 殺し屋は王子が小さい時から知ってはいるが、彼を抱いたりするわけにはいかなかった。
 偶然、致し方なく小さな手に握りしめられた時、初めてその体温を感じ、子供って温かいなあと思った。それは彼が初めて触れる生命の温度だった。
 こないだの夜腹の上に抱いた王子の体から伝わる体温はその時の事を思い出させるほど温かかった。
 わけもなく突っかかって来たり、よく判らない理由で八つ当たりして来たり、急に泣き出したりする王子を殺し屋はさほど嫌ではなかった。
 そんな王子がもういなくなるのかと思うと、寂しくもあり残念でもある。
 もしかしたらまたうっかり失敗してしまってもソファで寝ずに済む方法を思い付くかもしれない。
 抱いた体温がそっと離れて行くような気持ちだな、と殺し屋はその残像を追って意識を手放した

くまにおねしょを見られたら

毎日ベッドにおしっこの失敗。
お尻がじゅわんとしたらもう駄目なの。
パジャマに温かいおしっこが広がって。
それから何時間かしたらお尻に痛いおしおき。
それでも毎日おしっこの失敗。

今日はいつもと違ってた。
くまさんのぬいぐるみにぴしゃんぴしゃん。
とうとうお尻を叩かれて。
くまさんは言ったの。
「もう一緒に寝てあげません」


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悪魔払い師の孫 悪魔のお仕置き

 夏にはまだ少し早い日の夜だった。
 シトラスはふと、眠りから醒めベッドの上から起き上がった。
 普段は朝までぐっすり眠っているのでこれは珍しい事だ。
 もう一度眠りにつこうとした彼女は、その前にトイレに行っておこうとベッドから出た。
 生意気な顔立ちをしているけれどまだ10歳にもならない幼い彼女の髪が暗がりの中でぼんやり光る。灯りは要らない。
 何故ならシトラスは父親が悪魔の、人間とのハーフだからである。
 そのせいでとても夜目が利く。
 それでも最近は廊下に間接照明が灯るようになった。
 悪魔と悪魔のハーフしかいなかったこの家に人間の男の子がやって来たからだ。
 それでこの家のルールは少しだけ人間寄りになった。
 ほどなくしてシトラスは自分が目を醒した理由を知る。
 奥の部屋から灯りが漏れ、誰かの話す声がするのが聴こえて来たからだ。
 彼女は取り敢えずトイレに行くのを後回しにして置くの部屋へと忍び寄って行った。
 そこは確か悪魔である父親の部屋であるはずだ。
 その部屋で一体何が?
 好奇心を刺激された彼女だが徐々に聴こえて来る声と音で事態を察することが出来た。
 聞き覚えのある、尻を叩く音と父親の説教。そしてすすり泣き。
 でも、そのお仕置きの常連である自分はここにいる。
 ごくっとシトラスの喉が鳴った。
 だったら今部屋の中でお尻を叩かれているのはあの子しかいない。
 父親が引き取る事になった人間の男の子、スニヤ。
 だがスニヤはきかん気の強いやんちゃなシトラスと違って真面目で大人しくて滅多には叱られる事のない男の子だ。それがどうして?シトラスはそっと部屋に近寄って耳をそばだてた。
「夜更かしは駄目だって何度も注意したよな?」
 ドア越しに父親の滅多にない尖った声が響く。
 悪魔とは言うが父親のハビエルは相当に甘い父親で滅多に子供達を叱る事もなければ声を荒げる事もない。その父親が一度叱るとなると、それはもう厳しく、シトラスでも何も言い返す事が出来なかった。
 部屋の中からは返事の代わりに鼻をすすり上げる音とくぐもった言葉にならない声が聴こえる。
 多分スニヤは泣くのと悲鳴を上げるのを耐えているのだろう。
「それなのに隠れて夜中に!」
 ハビエルの声に続いて、ばしん、という音が聴こえ、シトラスは思わず自分のお尻を庇い足の指を折り曲げた。我知らず、肩がびくんと跳ねる。ズボン越しのようだが明らかにお尻を叩かれている・・・・・・ スニヤと違って何度もお尻にお仕置きをされた事のあるシトラスはその時の痛みが蘇って頬が熱くなった。父親がくれる平手は本当に痛い。まだ床に水たまりを作った事はないがシトラスは何度もその痛さでおしっこをちびってしまい、下着を汚している。スカートの上から叩かれる時はバレずに済んでいるが、お尻を半分出された状態でのお仕置きでは見逃してもらえる筈もない。いつも生意気な態度を取るくせに、とついでに罵られてしまうので本当に恥ずかしいし屈辱的だ。
「池に落ちただと?!」
 シトラスは、その言葉で父親が何故スニヤに腹を立てているか判った。
 このところ、彼は一冊の本に夢中で何度言っても夜更かしをしてまで読みふけっていて、そのせいで昼にぼんやりする事が多くなったのだ。授業には影響していないようだが何でもないところで転んだり家の中で壁にぶつかったりと少々危ないと思った矢先に今日は池に落ちた。
「もしも誰かが通りかからなかったらどうなってたと思うんだ!」
 ばん!ばん!ばん!
 続けざまにはたかれ、さすがのスニヤもうめき声を上げながら仰け反る。
 これ以上は・・・・・・・と、シトラスはそっとその場を離れるとトイレに入り、自室に戻り再びの眠りについた。
 明日はそっとスニヤを慰める事にしよう。
 
 
 スニヤはベッドに腰掛けたハビエルの膝の上に尻を乗せられたまま、顔の前にある枕を両手で掴み痛みに耐えていた。
 悪いのは自分なので泣き喚くのは違うと想っていたし、簡単に謝っては痛みに堪え難いだけのことだと思われるのではと考えて口を開かぬようにと頑張っていた。
 それでもあまりの痛みにたまに声が漏れてしまう。
 そのせいでサビエルも止め時を見失ってはいた。
 スニヤの指が枕に深い皺を作るのが目に入り、一旦落ち着こうと一度振り上げた手を下ろす。
 膝に乗せた腹と、幼いせいでまだ薄い肩が大きく上下していた。
 その肩の動きが静かになった頃。
「・・・・・・サビエル・・・・・」
 膝の上から弱々しい声がした。
「・・・・・本当にごめんなさい・・・・」
 泣くのを堪えているせいで言葉は途切れ途切れだ。
 サビエルはまだ腹を立てていたが、その言葉で苛立ちがすうっと引いて行くのを感じた。
「うん」
と言うとうつ伏せになったままのスニヤの体を起こし、鼻にティッシュを当てがうとちんとさせる。
 泣くのを我慢しているせいで鼻水が詰まって窒息寸前だ。
「そりゃあ俺はスニヤが読書に夢中なのはいいと思うよ。
でもまだ子供なんだし睡眠はちゃんと取らなきゃ駄目だ。
だから本は寝る前に預けて行きなさい」
「え・・・・・・」
 スニヤは承服し兼ねるように言い淀んだが強く睨まれてはい、と言った。
「じゃあ、さっそく本を取りに行かなくてはね」
 サビエルはそう言うと、スニヤを抱きかかえ彼の寝室へと向かった。



 青空にしゃぼんが舞う。
「おねしょはシトラスだけだと思ったのに」
 サビエルはぼやきながら汗まみれになってシーツと格闘している。
「なんだ、どうしたんだ?」
 遊びに来た友人のリリスがその顔を上から覗き込む。
「あの人間の子は怖い映画でも見たのか?」
「いいや」
 サビエルはシーツをぎゅーっと絞るとっち上がり、青空の下に大きく拡げ、ぱんっと張って笑った。
「よ~~く眠っただけだよ。な?」
 その言葉に建物の影から様子を見ていたスニヤが一瞬体をを引っ込めたがすぐに顔を赤くして姿を現した。
 サビエルはにやにやしながら洗濯物の入ったたらいを抱え、スニヤの脇を通り過ぎると、その髪をくしゃっと撫でて言った。
「睡眠は大事だろう?」
 本をしぶしぶ預け、しばらくはまだ鼻をすすっていたものの、日頃の寝不足による強い睡魔に身を任せ、久々にすっきりした目覚めを迎えたスニヤはそれと同時におねしょをしてしまうという大惨事に見舞われた。下着と服はどうにかしたものの寝具はどうにもならず、大泣きしながらサビエルの部屋にやって来たのをなだめるのも大変だったが、これで身をもって判ってくれただろう、と悪魔のお父さんは思うのだ。
 それにしても彼の久し振りの粗相は派手だった。
 多分一度ではなくニ度か三度してしまったのだろう。それでも起きなかったくらい彼は眠たかったのだ。今朝方のすっかり途方に暮れたスニヤの表情を思い出し、ふふっと笑うとよいしょっと言いながら小さな体を片手で抱き上げる。少し驚いて戸惑う顔に微笑むと
「シーツ干すの、手伝ってくれるよな?」
と問い掛けた。
「うん・・・・・」
 細い腕が首に巻き付いて来る。
 よしっと言うとサビエルはもう片方の腕にある、洗濯物の入ったたらいを抱え直し歩き出した。
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